女子中等教育の発展 〔教育・女子・家庭〕

明治政府は、中等教育以上では男女別学を原則としたが、それは第二次世界大戦後の戦後教育改革まで変わらなかった。

女子中等教育の分野では、早くから私立の女学校が多数設立され、女子教育の発展に大いに貢献した。

キリスト教的人格主義の教育を行って家庭生活や社会の改良に少なからぬ影響を与えたプロテスタント系、伝統的良妻賢母主義に立脚した実科系、カトリック系、仏教系などの女学校が次々と設立された。

また、成瀬仁蔵、巌本善治、跡見花蹊、矢島楫子、下田歌子ら個性ある女子教育家が輩出した。

それら特色ある女学校の多くは、明治後半期に法制上高等女学校として位置づけられ、なかには高等教育機関たる専門学校に発展するものもあった。

イギリスやアメリカでも中・高等教育への女子の進出は19世紀中葉まず教員養成機関から始まったが、明治政府が第一に力を注いだのも女子師範教育であった。

各府県には早くから師範学校女子部ないし女子師範学校が置かれ、明治末年には師範学校86校のうち女子師範学校32校、卒業生男子5124人に対し女子2217人に達した。

1928年には全府県に女子師範学校が設置されるに至り、女子教員の進出は著しいものがあった。

一方、明治20~30年代の女子就学率の急激な上昇と上級学校への進学希望者の増加により、しだいに高等女学校が整備されたが、1899年高等女学校令により各府県にその設置が義務づけられた。

高等女学校は男子の尋常中学校に対応する学校であったが、中学校より修業年限も短く、また英語、国語、数学など普通教科の時間数が少ない反面、裁縫、家事など実科に力点が置かれ、良妻賢母主義の方針がとられた。

その後、実科高等女学校や高等科の設置などを経て、1943年中等学校令は、中学校、高等女学校、実業学校を法制上同等の中等学校として位置づけた。

高等女学校は、1895年には中学校87校に対して15校にすぎなかったが、1913年には中学校317校に対して330校となり、学校数において中学校を追い抜いた。

1925年には、中学校502校、高等女学校805校となり、生徒数においても中学校を上回るようになった。
update:2010年02月24日